阿茶局開基
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雲光院開基阿茶局は、弘治元年(1555年)に、武田氏の家臣 飯田氏の子として、甲府で生まれました。今川氏の家臣神尾孫兵衛忠重に嫁ぎましたが、忠重の死後は、徳川家康公の側室となりました。

武家出身の女だけに、馬術や武芸にも優れ、才知も比類なく長けていましたので、側室でありながら、家康公の懐刀として信頼を得、戦場や政治の中枢にも身を置きました。政権奪取への緒戦への随行はもとより、大阪冬の陣、夏の陣では、和睦の使者として歴史に残る活躍をされました。

二代将軍秀忠公の娘和子(東福門院)入内の折には、母代わりとして供奉し、天皇家からも信頼を得て、「従一位」に叙せられました。

家康公の全幅の信頼得ていた阿茶局は、家康公の死後も、出家を許されず、三代の将軍に仕え、江戸と京都の宗教的連携、宗教政策の充実、幕府と朝廷間の融和政策推進など、無類の手腕を発揮され、幕府にとって必要な女性であり続けました。

寛永十四年(1637年)一月二十二日に八十三歳で、京都にて逝去されたと伝えられ、晩年の活躍の場であった京都東山金戒光明寺に葬られ、京都では上徳寺を菩提寺とし、江戸では雲光院が菩提寺となりました。

阿茶局の存在は一般では地味でありますが、女性の政治進出、その才知と手腕、歴史を動かした功績としては出色で、歴史上に名を残す女性達の中においても屈指の存在と言えるでありましょう。

阿茶局参りのご利益・功徳を申せば「女丈夫」「才知向上」「冷静沈着な心の会得」「諸願成就」であります。

 

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